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東京湾クルーズ

普段あまりこうゆうのには縁がない私ですが先日とある行事にて乗船してきました。
私の場合、船といえば「フェリー」というくらい、移動手段として使うことがほとんどでした。
最後に観光目的で船に乗ったはプサン港だったっけか・・・(その時の様子


船内の様子の写真。
オシャレな売店と美味しい料理にサックスの生演奏。
なんだこのハイスペックな船は!なんて快適でゆったりとした空間なんだろうか。
桜島フェリーなんて乗船して天ぷらうどんを注文したら食い終わる頃に着いてしまって忙しなかったぞ・・・


極上のひとときを過ごし、2時間ほどで帰港。
この東京湾ランチクルーズは芝浦の竹芝桟橋から乗船できます、ギフトでランチクルーズのチケットを贈ったりすることもできるんだとか。


東京サマーランド

2014年で開業44周年を迎える東京サマーランド。
かなり昔から親しまれてきた遊園地ですが実は私がここに来るのは齢35歳にして初めてである(たぶん)
いつも圏央道を通るときにあきる野ICからチラチラ見えていて気になっていたが、今回株主優待券で無料の入場券が届いたこともあり、地元の大磯ロングビーチに行くよりもお得だということではるばるやってきました。
「はるばる」と言っても秦野市からは約1時間で来ることができます。圏央道万歳(^^)v


ファミリー向け施設だけあって子供に対する気配りはさすがである。
老若男女誰が来ても楽しめるようになっているので家族・友達同士・カップルなど様々な客層が見られた。


東京サマーランドは半分プール、半分遊園地という構成になっており、もちろん行き来は自由です。
そのため、写真のように水着で観覧車に乗ったりすることもできるのでわざわざ着替える手間もありません(ただし履物だけは用意する必要があります)
そして右の写真をご覧いただきたい。サマーランドの全景と圏央道あきる野ICの位置関係が理解いただけると思う。
インターを降りてから二つ信号があるものの3分くらいで駐車場に着きます。
この地に開業した時は思い及ばなかったとは思うが、圏央道の存在はサマーランドにとってまさにライフラインとなっている。
事実、遊園地はここ数年でも次々と不採算事業として閉園に追い込まれている。
私の周りだけでも御殿場ファミリーランド・横浜ドリームランド・向ヶ丘遊園などが該当するが、ここは今のところ新たなアトラクションができたりと元気に営業中です。


中には「昭和」をテーマにした資料館みたいな場所もあり、これにはちょっと驚いた。
30代以上おじさんたちにはこれらの写真を見て何を思うか・・・きっと私と同じ気持ちだと思う。バッファローマンのキン消しとか懐かしすぎる。


園内では基本的に任意の場所にビニールシートで場所を取ってそこを拠点に移動することになります。
一部屋内ですが、基本的には屋外なので真夏は地面がかなり熱くなるので要注意です。不安な方はサンダルを持参するといいかもしれません。
最後は温水プールで冷えた体を温めることができますが、これは入ってみると本当に極楽です。
個人的にはサマーランドは大満足です、是非お勧めしたい場所なので、圏央道も開通したしどうでしょうか?




高尾トリックアート美術館
夏休みの真っただ中、圏央道開通に伴い秦野からも気軽に行けるようになっ高尾山ですが、今回は山には登らずに麓にあるトリックアート美術館に行ってきました。

いわゆる「錯視」をテーマにした美術館で、不思議な体験をすることができます。
左の写真はまるで蛇に指を噛まれているように見えますが実際は壁に書かれた平面の絵です。
真ん中の写真は私の顔と手だけが写ってますが、種明かしをすると正面のテーブルの脚と脚の間にななめ45度に設置された鏡が、部屋の壁と床を映しているだけです。
右の写真は一見千円札が床に落ちているように見えますが当然拾えません。


男子トイレのドアにも↑このように遊び心満載の絵が描かれていた。
真ん中と右の写真のトリックは分かりますでしょうか?ヒントは写真の日付スタンプが縦になっている点です。


キリンにバッグの中身を漁られているシーン。そして空中神殿を模した一枚。
夏休み中なので人が多く、あまり写真を撮るのに適していない状況でしたが、ここは子供から大人まで楽しめます。
大人1枚1300円で入れますがホームページなどでクーポンを印刷していけば200円引きになります。
高尾インターから車で2〜3分、京王線高尾山口駅から徒歩で1分と、交通の便がとても良い場所にあるので是非お勧めです。


京王線なら新宿から1本で来れるので大変便利です。また、高尾山に登る場合もケーブルカーやリフトがあるので、途中までは誰でも気軽に登ることができます。
トリックアート美術館に行ったらすぐ近く表参道のお土産屋さんが賑わっているので寄ってみるのも面白いと思います。


築地市場

↑中央の写真はマウスカーソルをあわせると画像が変化します。

ここは日本はおろか世界最大の市場であり、朝6時半だというのにご覧の人だかりである。観光地としても外国人に人気があるようである。
しかし活気がありすぎて私のような田舎者にはこの人ごみを避けて歩くのは少し難儀であり、何度かフォークリフトのような乗り物に轢かれそうになった


「東京の洗礼」を受けながら市場の中心部にたどり着き、ようやく朝食を取ることに!
おいしそうな海鮮丼が写っていると思いますが、これで1400円です。以前北海道で食べた時は3000円くらいした気がするのでこれはお得!
市場内では吉野家の元祖の店もありました。久々にいろんな意味で刺激的な朝食でした(笑)


東京駅

2012年10月に長かった改修工事も終わり、新しい(というか元々の)東京駅へと生まれ変わった。
外観こそ大正時代のそれを踏襲しているが中身は現代風のテナントが犇めいており、テレビ番組などでも取り上げられることも多い。


東京駅は規模的には新宿には及ばないが、プラットホームの数は日本一である。地上、地下、新幹線のホームをあわせると30番線まで存在する。
今、乗り入れ路線を全部ここに書こうかと思ったが、膨大な量になるので(めんどry)やめた。
丸の内口や八重洲口など、出入り口も多岐にわたり、はっきり言って初めて来る方は迷子になると思う。
また、ちょっとしたトリビアだが東京駅には霊安室も2室用意されている。
これは自殺・事故・病気などで亡くなった方の為であるが、2室同時に利用することはほとんどないと思う。
なんにしても駅そのものが東京の新しい観光名所になっているように見えた。


東京スカイツリー

東京の新しいシンボルとして2012年に完成しました。東京タワーと同じく、電波送信所としての開業ですが、すっかり観光地として定着しております。
私はよく首都高からスカイツリーを眺めてましたがこうして押上駅に立ってみるとその大きさがよくわかります。
左の写真などはビルに密着しているように見えますが、意外とタワーが太いので遠近法の関係上くっついているように見えます。

それでは簡単にスカイツリーのスペックを見てみよう。

着工:2008年 竣工:2012年 開業:2012/8/22 事業費:500億円 施工:大林組 

設計:日建設計 経済効果:開業1年目で473億円を予想

最寄駅:押上駅(東武伊勢崎線・東京地下鉄半蔵門線・京成押上線・都営地下鉄浅草線) 
      とうきょうスカイツリー駅(東武伊勢崎線)←旧業平駅

高さ:634メートル 基礎の深さ:50メートル 本体重量:41000トン 

展望台料金(2012/10月現在):第一展望台2000円・第二展望台追加1000円

エレベーター:分速600メートル40人乗りが4台他 

着工は2008年なので4年間の工事を経て竣工したことになる。地方の高速道路が予算の都合上、年度ごとに少しづつ開通するのとは違い、大都市である以上騒音の問題や近隣への配慮の関係を考慮した工期だったのだと考えられる。また環境面では落雪問題や電波障害等があり対策に追われている。
この場所に作られた理由も、以下のような理由があるらしい。
東京タワーはそもそも竣工時には周りに高いビルがあまりなかったため電波が遮蔽物の影響を受けることは少なかった。
しかし急激な都市化による高層ビルの乱立が始まり、333メートルの高さでは影になってしまう部分に電波が届きにくくなってしまうという問題が生じた。
その反省を糧に、スカイツリーは東京の下町という場所に建設されることになったのだが、確かにここであれば関東平野に電波を届けるのに最適だと思う。

イルミネーションパターンは今のところ2種類で、隅田川をイメージしたブルーライティングの「粋」。そして江戸紫の「雅」となる。
それと地図を見ていて偶然発見しましたが、東京スカイツリーと皇居と富士山は直線で結ぶことができる。本当に単なる偶然なのでしょうか?風水とか?
押上という土地に建てた目的はなにか他にもあったのでしょうか?


仕事や結婚式などで東京に行くことはよくありますが観光目的で東京に行くことは意外と少ない気がします。
都会よりも秘境的雰囲気のある場所に魅力を感じる私としては、今回はちょっと苦手なレポかもしれない。

メガロポリス東京、ここは多くの人間がそれぞれの事情を抱えて集まってきます。
しかし、つくづく思う。
何か買い物とか探し物で東京に来ると大体揃うし何かと便利です。
でも23区には自然がない、やっぱり私は都会よりも田舎が好きなんだと思います。
・・・・ただ、東京は別に見所が無いわけではありません。

新宿・渋谷・銀座・浅草・お台場、ビッグサイトなど、都会の観光地に関しては有名どころすぎるので何件かに絞ってご紹介していこうと思います・・・
↑上の写真は浅草を観光すればおのずと見えてきます、コレが何なのか。何のビルなのかはあえて伏せておきます。


東京タワー

一応東京タワーから取った夜景です↑
カメラがショボイのか私の腕が悪いのか、夜景がうまく撮れません・・・・

みんな行ったことがあると思うのでトリビア的な情報を載せておきます。


・東京タワーは昭和33年に建てられた333メートルの電波塔
・東京タワーという名称は別称であり、正式名称は「日本電波塔」と言う
・日本電波塔株式会社はTOKYO FMの大株主(第2位)である(第一位は東海大学)
・着工から1年4箇月で完成し、工事請負は竹中工務店
・高さは333メートルと思われてますが正確に表現すると332.6メートルである
・昭和33年に完成以降日本一高い建造物だったのはたった5年だけ
・東京タワーが完成したあと、NHK総合・教育、テレ朝日・TBS・テレ東京・フジテレビが相次いで開局




秋葉原
東京名物としてはこの場所も欠かせない

この写真はすごくよく秋葉原を象徴する一枚だと思う、そう思いませんか?
秋葉原は電気街からいつしか電子街となり、そして今オタク街となった。
秋葉原の変遷を紐解くと昔から「趣味人の街」という印象を受ける。
昔はスピーカーの部品一つから真空管ラジオなどのマニアックなもののパーツもここへ来れば手に入らないものは無いとまで言われた。
そして時はたち、Windows95の登場でPC元年となった95年および96年にはパソコンの自作のためのパーツ屋が急成長し、世の中の目もパソコンに向けられた。そして今は2次元3次元を問わずアニメ・特撮などの物品販売やイベントがこの地で賑わいを見せている。
昔から秋葉原は趣味人の街。私もたまに来ます(PCのパーツを見に来てるだけですよ!)


銀座・日本橋

銀座は夜と昼ではだいぶ違います。また、平日と土日でも全然違うと思います。
三越や高島屋、各種ブランドショップが立ち並び、休日でも意外と人が疎らとなることはない。


日本橋です。ここには道路元標があり、日本の道路の始点となっています。
日本橋は現在かけられている橋は19代目にあたり、明治44年に石造り2連アーチ橋として竣工しました。
初代の橋は徳川家康が交通網の広げるために1603年に建造させたとあり、その後は江戸名物の「火事」により、明治維新までに10回も焼け落ちている。


このあたりはセレブたちが多く、どの店もオシャレでとても手が届かないような値段のものばかりです。
ディスプレイのデザインも凝っており秦野ではまず見ることのない光景です。

東京では多くのデザイナーたちが活躍しています。

中央の展示物は私の親戚が手がけたものであり、期間限定で銀座の街にお目見えしていた。なんだかすごいな〜・・・
ちなみに銀座は私の前職での勤務先でもある。久々に来ると懐かしい気分になるがやっぱり性に合わない。
食事をするにもどこも高い店なのでこのエリアにある吉野家とサブウェイはまさに私にとってオアシスのような存在だった。



アートアクアリウム展 〜江戸 金魚の粋〜 &ナイトアクアリウムミュージアムラウンジ



東京編のレポっぽくちょっとオシャレなコンテンツも含めてみる。
これはデザイナーの方がいきものである金魚をモチーフにして展示した展示物です。金魚はもともと中国から輸入したものであり、昔はとても高価なものだったんだとか。


金魚といってもいろいろな種類があり、とても新鮮でした。なんだか日本のワビサビを感じます。


さすがデザイナー、金魚の魅せ方が違います。私の場合は金魚と言えば屋台の金魚すくいしか思い浮かびません。


真ん中の写真などは水槽に穴が空いており、そこからのぞき込むと万華鏡のように映る。
ちょうど金魚が通りかかると右の写真のようになるので、根気よく見てると面白い。


昔風の絵や屏風なども展示されていて、もちろん内容は金魚。特に右の写真の金魚は生きています。


このアートアクアリウム展 〜江戸 金魚の粋〜は2011年9月12日まで日本橋コレドでやってますので興味のある方は是非オススメです。1000円ですがローソンチケットで買うと800円になります。




小島一郎写真展


小島一郎という写真家ですがご存知でしょうか、遠からず私の関係者に当たります。
青森県で生まれ故郷の津軽地方の人々の生活を写真で表現するスタイルで死後も多方面から評価され今日に至ります。

上の写真は今回お邪魔した六本木にあるピラミデというアート空間で、各ブースに芸術作品などが展示されている。
写真展なので撮影禁止であり、写真の写真はありませんが、詳しく知りたい方は下記のホームページを参照ください。
日曜美術館:http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0306/index.html
動画で紹介:http://www.youtube.com/watch?v=NfTk-stWev4
青森県立美術館による紹介ページ:http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/22/
写真集の購入はコチラ:Amazonにて青森県立美術館から発売



舞台となっている青森県の津軽地方の航空写真です。厳しい自然環境の中で生きていくのは大変なものだったと思います。
だからこそ臨場感のある飾らない写真が撮れたのだと思います。


2012/1/29 渋谷のパルコで小島一郎の写真展があったので見に行ってきましたが、渋谷駅前はとにかく人が多い。
スクランブル交差点ではあまりの人の多さにキョロキョロしながら思わず写真を撮ってしまいました。モヤイ像なんかも撮影しようと思いましたが田舎者丸出しっぽいのでやめておきました。


高尾山・陣馬山登山

さて、それでは都会の喧騒から離れましょう。

高尾山にて、夜明け前の八王子を望む

ここは八王子の西、高尾山です。高尾山は天狗伝説で有名な超メジャーな観光地であり、JR高尾駅にも巨大な天狗の像が設置されています。駅舎もなかなか渋くていい感じです。

夜間登山をするとき毎回思う
わずかな時間の差で風景がガラっと変わる
空気が澄んでいる夜明けの時間帯は神秘的な雰囲気です

東京は狭いけどいろんな顔を持っています。西の方は高尾山や奥多摩などの自然がたくさん残るエリア、東は世界でも有数の人口密集地帯。

この日は京王線の高尾山口から高尾山頂を経由して人馬山まで縦走しました。この縦走路はかなりのボリュームがあります。

この辺りの山塊からは大体富士山が見えます。高尾山から人馬山の間も何度かビューポイントがありました。
それほど標高も高くなく、初心者の方でも十分に楽しめると思います、何といってもここは都心からも近いので余裕で日帰りが可能。東京も西側に目を向ければまだまだ真新しい発見があると思います。都会の喧騒に疲れたら高尾山や奥多摩がオススメです。

詳しくはそれぞれの山の登山レポートをご参照下さい
高尾山のレポートはこちら
陣馬山のレポートはこちら


奥多摩・日原エリア


大都会東京にあって秘境感が味わえる私の好きなエリアです。駅の感じもノスタルジックな感じで気に入ってます。


昔はこの先も産業用の鉄道が奥多摩湖の奥のほうまで伸びており、今も国道沿いにその遺構を見ることができます。


右の写真はその遺構とは関係ありませんが、わざわざ私が紹介したいのには理由がある。
ちょっとマニアックな話になるが、この橋は今では珍しい「トレッスル橋」なのである。トレッスル橋とは、トラス構造の橋脚で橋梁を支える方式の橋であり、現在では新造されていないと思う。ただ、明治・大正・昭和初期には各地で作られ、戦争により鉄材料不足等諸々の事情と、費用が掛かりすぎるという理由から徐々に存在を消していった。
トレッスル構造の橋としては兵庫県にある余部(あまるべ)鉄橋が有名ですが、今は現役で使われておりません。そればかりか撤去されるという話も聞きます。見たい方は京都駅から山陰本線に乗って西を目指しましょう(^^ゞ



ここから先は少し日原(にっぱら)の話を書こうと思います。この日原地区はマイナーですが実は魅力的な部分が多い。


奥多摩駅から都道204号線を通るのが日原集落へ向かう唯一の道となります。
そう、普通の人はみんなそう思っていると思います。でもこの日原はそんな地図で見ただけでは分からない歴史が埋もれている。


都道の途中にあったこの橋の遭遇は偶然だった。たまたま反対側に駐車帯があり、3台ほどしか止められないが1台分空いてたので車を駐車。はじめはこの異様な橋の歪みが気になって仕方がなかった。
それに上の写真の危険を警告する看板がアツい!2人までしか同時に渡れないだと!?

この橋、単純な吊り橋ですが、警告の通りかなり危険です。
まず人が乗ると乗る位置によっては左の写真のように傾いてしまう。
しかも揺れ方がかなりのもので、苦手な人は渡れないと思う。

そして渡った先にはご覧のような手堀随動が存在する!
個人的にはこの光景にはかなり興奮した。現代でこのような隧道に遭遇することは結構稀であり、この隧道の断面をよく観察するとかなりデコボコしているのがわかると思う。
そう、これは現在のトンネルを掘る工法(ダイナマイトなど)がまだ無かった時代のものであることがわかる。江戸、明治期には隧道はまだノミを使って岩を削る方法が採られていたのだ。

かなり拡大した地図にはこの橋は載っているが、肝心のその先が描かれていない。
隧道の先には道が続いており、地図で追ってみるとその先に集落があるのが分かる。調査の結果この道はこの先の集落の人のためで、現役で使われていることが判明した。危険な道だがきれいに整備されているところを見るとなんだか嬉しくなる。
実際に使っている人が居なければあっという間に廃道になることだろう。


そしてそのすぐ近くの上空にもうひとつ面白い発見があった。鉄橋である。
事前情報がなかったためちょっと混乱した。線路の線形から考えてこの路線は奥多摩駅方面から日原集落方面へと伸びている。
しかも昔の産業遺構ならともかく、右の写真に写っているトロッコがゆっくりと動いているのである。つまりこれは現役設備だ。

左の写真を見て欲しい。
日原川に沿って都道204号線が通っているのがわかると思うが、右下に小さく見えているのが先ほど紹介した橋である。
そしてそのすぐ上流側に見える青い橋が上の写真である。
そしてこの謎のトロッコの謎が解けた。
これは奥多摩工業曳鉄線であり、れっきとした産業軌道である。
地図の左上にも書いてあるが、このあたり一体は石灰の産地として、古くから山を削ってきた歴史がある。ただ、その石灰を奥多摩まで運ぶのは容易なことではなく、がけ崩れなどで頻繁に通行止になってしまう都道を使うことは安定供給に歯止めがかかってしまい、さらにこの都道は1車線分しかない部分も多くトラックでのすれ違いは不可能だ。実際に私が日原集落まで行く途中も何どもイヤ〜な鉢合わせがあった。この道は初心者お断りです。
そんな通行困難な都道を使うことなく、専用線で一気に奥多摩駅まで運ぶ軌道はバリバリの現役であり、さらなる調査をしていくとこのトロッコは自走式ではなく牽引式だということも分かった。
トロッコは連なっており、それぞれがつながれていて緊張所と呼ばれる施設で引っ張っているようだ。

そして狭い道を15分くらい走ると日原集落に到着。ここはまるで30年くらい前から時が止まっているような集落でした。
真新しい建物は一切なく、都道が盲腸線となっているせいか、終着点といった雰囲気です。
実際ここから先はどこにも道路が通じてません。ここまで来たら同じ道を戻るほかない。


集落内には都道の他に地元の人しかわからないような小さい道がたくさんあります。
実際、駐車場である小学校から日原鍾乳洞へ向かう際には左の写真のような小路を通って都道に降りました。

鍾乳洞に向かう途中、都道の下に古道を発見しました、これは江戸道でしょうか?(中央の写真を参照)
日原地方はもともと山を越えたところにある秩父と繋がりが強かったと言われています。両側から登ってきて山頂付近で物品の売買をする昔ながらの方法です。大昔は今のように奥多摩とは道でつながっていなかったと思います。だから日原はどちらかというと秩父の一部のような感じです。ただ、それも違う。このあたりは古地図を見ると埼玉でもなく、東京でもなく、神奈川県の一部となっている。
正確に入れば「相模国」でした。しかし、明治に入り東京府を経て東京都の一部となりました。
そしてこの地に眠る石灰に目を付けた役人は日原と奥多摩を結ぶ自動車道を整備。これが今の都道の原点となっております。
でも現在の都道はなんと奥多摩〜日原間の道としては7代目にあたります。
他サイト様からの引用となりますが日原道の歴史は驚くほど古い!


第一期 室町時代以前
第二期 江戸時代中期以前
第三期 江戸時代中期
第四期 大正4年
第五期 昭和6年
第六期 昭和17年〜27年
第七期 現道


参考サイト「山さ行がねが」 
http://yamaiga.com/road/nippara3/main.html
私がこのところ毎日見ているサイトで、主に廃道や廃線跡・廃隧道などを探検して回るサイトです。
結構最近では私の旅行のきっかけになったりしております(^^ゞ
在りし日の古道に思いを馳せて歩いているとやがてたどり着く最果ての地。まさに陸の孤島といっても過言ではない場所。それがここ。
日原鍾乳洞である。


実はここにたどり着くまでが大変だった。
奥多摩駅から狭い道をひたすら走り続け、1車線での鉢合わせを何度か交わしながらようやく日原集落に着いてみると、狭い集落内の道路は大渋滞。崩落を繰り返すこの辺の地形は非常に危険で道路整備のためにしばしば通行止となる。
そうなると日原鍾乳洞の駐車場に至る道は使えなくなり集落ないの限られたスペースに駐車することになる。
私の場合は臨時駐車場(小学校)に車を止めて30分ほど歩いてようやく着いた。大渋滞を待って鍾乳洞の近くに停めるよりも30分歩いて行った方が早かった。
そして鍾乳洞に入ってみるとこれまたビックリ。気温が10度しかない! さ、寒い!!
さらに湿度は95%という奇天烈な数値を指している。おまけに洞窟の入口はかなり強い風が吹いており体感温度は驚くほどに低い。早くもこんな格好で来たことを後悔したが、これだけ苦労して来たのに戻るのは癪にさわる。
気合で乗り切ることにしました
   
道内は曲がりくねっており、かなりの距離がある。さらに奥行だけでなく上下もあるので3次元的に複雑なルートとなっており、入洞10分後には完全に方向感覚を失ってしまった。

全部見て回るとだいたい30分〜40分ほどでしょうか。後半は寒いし滑るし方向感覚は狂うわでちょっと恐ろしくなってきました。
左の写真に映る光るものは全て1円玉です。なんでこうゆう所って小銭がたくさん落ちてるんでしょう?


洞窟を出ても最果ての卑怯であることに変わりはなく、長時間歩いてここまで来ていることもあって普段感じることのできない非日常をしっかりと味わうこともできます。
日原は崖・古道・洞窟・歴史など、魅力がいっぱいの観光地であり、都内からも2時間ほどでくることができます。
手軽に秘境を味わいたい方は是非一度訪れてみて下さい。


ここにクラス人は不便極まりないと思いますが、水道は殆どが湧き水であり、傾斜地に果樹を育てて暮らしているようである。
移動販売の車も来るし林業も営まれている。奥多摩工業では大規模な石灰採掘をしているので意外とこの辺一帯は暮らしに困っているようで困っていないのかもしれません。

車を止めていた小学校の校庭に森林鉄道の軌道車のようなものが安置されていた。一体何に使われていたんでしょう?
奥多摩工業曳鉄線の遺構か?



東京都編は一旦ここで終わります。
まだまだ東京には魅力的なエリアが多く残っており、都会の中に自然を探すというのも面白いかもしれません。
東京都で次に考えているのは・・・
檜原村・都営荒川線などになります。


最後は東京のシンボル「東京タワー」の写真でシメます(^_^;)


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